2011年3月25日

震災に辺り、たくさんのご支援を受けましてありがとうございます。

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このたびの震災にあたりましては、皆様のご支援、ご協力、支援物資などをたくさん頂戴し、本当にありがとうございました。物資を配らせていただいた方々には大変喜んでいただけました。
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東京を18時に出発して、石巻の実家に到着したのは朝の3時を少し回った辺りでした。
朝に荷物をおろし、物資を手渡しました。
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現地で実際にこの目で見てきた現状は、大変厳しいものでした。
震災で自宅がなくなり、途方にくれて、普通に会話することも忘れ、意識がどこか別の空間に行ってしまったような人がいるかと思えば、現実を受け入れられず、その現実から逃避した結果、痴呆や夜間徘徊の症状が出てしまった人もいます。

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また、テレビでほとんど語られることがない事実もあります。
被災して閉まっている商店のシャッターをこじ開けて店に入り、商品や現金が盗まれるということが頻発しています。大きなスーパーも例外ではありません。店に押し入り、店のカートに山積みの商品を乗せて持ち出す、金庫を破って現金を盗む、という悪質な犯罪が横行しています。
そして信じがたいことに、地震や津波の被害を受けていない店や個人宅などがターゲットになり、強盗に襲撃されて、食料、物品、現金を奪われたりしているのです。給水に行く少しの間に空き巣に入られるなどということは、日常茶飯事です。一人暮らしの女性が強姦にあうこともあります。外出先から家に戻った家主さんが、空き巣に刃物で刺されて亡くなったという、最悪の事件も発生しています。
自然災害を免れた人々ですが、挙げたらきりがないほどの人災を蒙っています。皆で分け合い、お互いに助け合っているなどと、マスコミでは美談ばかり記事にされておりますが、現実はとても悲惨な状況なのです。
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石巻市には女川という町があります。
女川は、リアス式海岸を形成する山の前に開けた、小さな平野にあります。漁業の街として栄えてきました。この街の中心となっていたのが、マリンパルという建物です。一階は地元の魚を購入することができる市場、2階はレストラン、カフェなどが入って、3階は公会堂やパーティールームとなっている、女川ではシンボル的な場所でした。

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それが今や、瓦礫の中に建つ廃墟の象徴となっています。この周囲から女川駅の方まで、およそ元の形を成しているものはありません。道路も、建物も、樹木さえもです。
4階建てのビルの屋上に2階建ての屋根が乗っているのを見ました。考えられない方向に鉄柱が曲がっていたり、道路の真ん中に船が転がっていて通行ができない場所もありました。ビルの壁に船が突き刺さり、その上に車が乗っているのも見ました。最初は言葉にできないくらいショックでしたが、やがていろいろな現状を見るにつけ、少々のことでは驚かなくなっている自分がいました。
女川だけで、見つかった遺体の数は400人、行方不明者は5000人です。
何でしょう、この数は。
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福島原発が騒がれていますが、この女川にも原発があります。実はここでも火事が起こっていたという噂を聞きました。本当のところはわかりませんが、地元の住民は不安に思っています。政府は、この不安を拭い去る手立てを、考えるべきだと思います。このままでは、隠蔽していると騒がれても仕方がありません。

現地到着翌日の23日に、石巻最大の被害を受けた場所である、門脇町、山下町を見に行きました。こちらはさらに悲惨な状況でした。
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この地域には、ひばりが丘という、石巻で一番長く美しい砂浜があり、そばに日より山という海抜80メートルくらいの小山があります。その麓には門脇小学校という学校がありました。海から2キロくらい入った場所です。砂浜から襲ってきた津波は家々を押し流し、破壊しました。壊された家屋や流された車や船は、小学校の周囲に集まり、あたりは大きなごみ置き場のような状態になっていたといいます。そしてそれらが火災を引き起こし、小学校周辺の家もろとも丸焼けになってしまったのです。

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その焼け跡に立ったとき、たちこめる焦げ臭さ、なんとも表現のしようのないドブ臭さが鼻をつきました。もしかすると壊れ残った家屋の中で、まだ生きていた方がいらしたかもしれない。もし火災がおきなかったら、命を落とさずにすんだ方がいらっしゃったかもしれない。そう思うと、涙が止まりませんでした。そこでかいだその臭いは、僕の記憶に刻み付けられ、これからもずっと消えることはないでしょう。

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石巻はもちろん、渡波、女川にも僕の同級生が多く住んでいましたが、悲しいことに未だほとんど見つかっていません。

幸運にも避難先でご家族、知人を探し当てられた方は、それはもう言葉に出来ない喜びを皆で分かち合っておられます。一方で、一族全員が行方不明という方々もいらっしゃると聞きます。捜索もされない、遺体の確認すらなされない犠牲者の方々は、いったいどうなってしまうのだろうと考えると、本当にやりきれない思いです。

最後に被災者の方々が今おかれている環境ですが、自衛隊の活躍などで道路が整備され始め、食料なども徐々に輸送され始めております。しかし、どうしても不足がちなのが風呂、トイレでしょうか。トイレは簡易トイレのみ、一杯になったらおしまいです。
水がないので、お風呂は焚けません。1500人もの被災者がいる避難場所では、50人ずつ順番に、数十キロも離れた鳴子温泉郷の方まで、もらい湯にいっているそうです。

今は書けないことが沢山あります。が、おいおい皆さんにお伝えしたいと思っております。この未曾有の災害の復旧には、長い時間がかかると思います。今日明日に終わるものでないことは、マスコミの報道を見ていただいても、皆様にはご斟酌いただけると思います。
僕たちも何が本当に必要なのか、何が出来るのかを十分に考えて、これから行動していきたいと思います。
皆様にも引き続き、ご支援、ご協力を賜れましたら幸いに存じます。


和田